写真−2 白嶺丸の船尾ガントリ
ことを知り感服した。しかし、そうなると、当方の事情も切迫してきた。東京都一本にしぼって岸壁探しをしていたからである。
金探のトップクラスの方々の中には、少々弱気になられて、運航に深く関与することになった東海サルベージの本拠がある三重県の鳥羽に岸壁を確保したら、とまでおっしゃる方もおられた。
私は、金探の本部が東京にある以上、なお東京湾内で岸壁を深されることを進言した。神奈川県と千葉県である。池田さんがたは、そこでまず神奈川県を訪ねられた。結果ははかばかしいものではなかった。次いで千葉県庁を訪問され、友納武人知事と面会された。知事は自民系である。友納さんは大層好意と関心を示され、方々に連絡の労を取られた由である。
はじめ、千葉市より南寄りの場所にある岸壁を紹介されたが、冬季、西風が強いので、船の保持に困難あり、との船長の意見をいれて、別の場所の紹介を知事にお願いしたところ、船橋市の渡辺三郎市長を紹介された。船橋市では丁度、新しい岸壁が造成されたばかりの時であった。渡辺市長も大層な好意を示された由。ただし、条件が2つついた。1.公害を出さぬこと。2.市民、とくに青少年に白嶺丸見学の機会を与えること。この第2の点は船橋市へ赴かれる池田さんに、私が予め条件として呈示されるようにお勧めした点であった。現在でも見学者は多い。
市議会も無事通過し、白嶺丸の基地は船橋港と決まった。今では建物が林立しているが、当時、埋立が済んだばかりの船橋の新岸壁は広く、土地も余裕があった。
第2白嶺丸も同様に船橋基地に受け入れられた。手前に白嶺丸、やや南方の海に近い方に第2白嶺丸の専用岸壁がある。加えて、数年後、岸壁に近接して搭載機器倉庫建設のための土地も提供された。重量物が多いので、これは調査船にとっては何とも有難いことであった。
東大海洋研では、淡青丸、白鳳丸ともに恵まれて都内に専用岸壁をお借りしているが、倉庫を近くに建てる土地はないので、毎航海、中野区の本部の倉庫からトラックで交替輸送を行っている。この点、白嶺丸、第2白嶺丸は恵まれた。
白嶺丸の運航開始に際して、裸傭船として、日本海事興業に一括して、オーナーである金探から貸し出す形が取られた。この方式は第2白嶺丸を含めて今日まで継承されている。日本海事興業は傭船料を金探に毎年度支払う。国から財政投融資を受けた金探は、逐次、この支払金を国に返却する。10%は当初より一応国が保管するような形が取られるので、90%分を利子を含めて償却する。現在、当初の融資額は返却した形になっているが、白嶺丸、第2白嶺丸ともに、次々と設備を更新したり追加したりするので、まだ残額が存在している。これが現状である。財政投融資の資金源は平たく言えば、主として郵便貯金である。
海洋技術開発は、日本海事興業と傭船契約を結び、白嶺丸、第2白嶺丸を借り受け、それに自社の船員を乗せて運航する形をとっている。
実績から言うと、現在まで白嶺丸を使用したのは、通産省地質調査所、社団法人・深海底鉱物資源開発協会(DOMA)、特種法人・石油公団(JNOC)、特種法人・新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)、財団法人・関西総合環境センター(KEEC)である。
第2白嶺丸を使用したのは、深海底鉱物資源開発協会(DOMA)、深海資源開発株式会社(DORD)(国策会社)、財団法人・中央電力研究所(CRIEPI)である。
深海資源開発(DORD)の一部は、金探からの委託で調査を行っているが、他はすべて自前の予算を組んで調査を行ってきた。したがって、調査実施のための必要経費はすべて一旦、日本海事興業に振り込まれ、そこから、実施のために深海技術開発に支払われる部分と、金探に償却のために支払われる部分に振り分けられる。
白嶺丸・第2白嶺丸運航に関するバジェットの流れはこのようになっている。
金探自身がこの2船のいずれかを使用して独自の調査
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